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1981年、マリー・ロスバード、「フランク・マイヤー:リバタリアンに成りそこねとしての連合主義者」 ※ ... 1981年、マリー・ロスバード、「フランク・マイヤー:リバタリアンに成りそこねとしての連合主義者」 ※ Murray Rothbard 伝統主義者たちとリバタリアンたちの間の論争の中心にあるのが、 自由(フリーダム)と美徳についての問いである。 (どう定義しようと)美徳な行為は、強いられるべきなのか、 それとも、それは、個人の自由で自発的な選択に任されるべきなのかである。 ここでは、二つの答えのみが可能である。 第三の道を見つけようとする連合主義の試みは、 単純に不可能であり、排中律の法則を破っている。 実際、フランク・マイヤーは、この重要な論点で、はっきりとリバタリアン陣営にいる。 私の意見では、保守主義に対する彼の最も重要な貢献は、 有意味において美徳であるには、人間の行為は、 自由(フリー)でなければならないということを、彼が強調したことである。 単に、自由(フリーダム)と美徳は、
2016/07/08 リンク