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喜納昌吉「すべての人の心に花を」
僕は『ハイサイおじさん』のヒットを刑務所の中で知った。 あれは1972年(昭和47年)のことだった... 僕は『ハイサイおじさん』のヒットを刑務所の中で知った。 あれは1972年(昭和47年)のことだった。麻薬不法所持で逮捕され、刑務所に服役していた僕のところに面会に訪れた母親が、こんな知らせを持ってきた。 「昌吉よぉ、コザ(現・沖縄市)のレコード屋にさぁ、『ハイサイおじさん』は売り切れました、という貼り紙が貼ってあるさ。母さん、それをちゃんとこの目で確かめてきたよ」 その類いの貼り紙はコザだけにとどまらず、凄まじい勢いで沖縄全土に広がり、やがて本土にまで評判が轟いていった。まさに、前代未聞のことだった。 もとはといえば、民謡界の第一人者だった父親がレコードを出すことになり、その中に僕が中学生のときに作った歌『ハイサイおじさん』を一緒に収録したらどうか?という話が持ち上がった。試しに入れてみると、これがなかなかの好評。終いにはシングルカットされ爆発的にヒットするわけだけど、当の本人はそのとき刑