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『浅井昭衞先生 御略歴』
昭和四八年一二月、 先生は本部会館 (東京都板橋区)を 初めて建設された。 この落慶御入仏に 際しては... 昭和四八年一二月、 先生は本部会館 (東京都板橋区)を 初めて建設された。 この落慶御入仏に 際しては、 松本日仁尊能化が 「妙縁寺重宝」との 脇書がある 「第六十世・ 日開上人」御書写の 御本尊を自ら奉持し、 懸け奉って下さった。 先生の諫暁により 二度も正本堂の誑惑を 訂正しておきながら、 池田大作に 改悔はなかった。 正本堂完工式にキリス ト教神父を招き、落成 式には「御遺命達成」 の言葉を会員に伝えて いた。また国立戒壇を 否定した政府への「欺 瞞回答」も撤回されて いなかった。 ここでもし再び 諫暁に立てば、 今度こそ解散処分が 下り「本山登山」も 「御本尊下附」も 禁止され、講の命脈を 保つことは不可能と なる。 しかし先生は、 講の安穏よりも、 大聖人様への忠誠を 選ばれ、以前にも 増して徹底せる 諫暁に立たれた。 昭和四九年 七月二八日、明治公園 に三千人を結集して 「立正
2023/11/28 リンク