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『修学院離宮の紹介7 中離宮の楽只軒東面から上離宮まで』
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『修学院離宮の紹介7 中離宮の楽只軒東面から上離宮まで』
昨日の続きです。 今日は楽只軒(らくしけん)の東面からです。 下図③から正面が客殿の北面と、その右側... 昨日の続きです。 今日は楽只軒(らくしけん)の東面からです。 下図③から正面が客殿の北面と、その右側に楽只軒の東面です。 右が南の地図です。ピンクの線に沿って参観しています。 ③の→方向で楽只軒の東面は ③から楽只軒の東面を撮影しました。手前が一の間の六畳です。 左側の明るい所が南面の池庭(前々回の写真です)です。 「楽只軒」の扁額は後水尾上皇の宸筆です。 奥が二の間で龍田川の紅葉が描かれています。 手前一の間の六畳は、吉野山の桜が描かれています。 一の間・二の間ともに狩野探信(探幽の子)が描きました。 楽只軒は光子内親王のための最初の建物です。その後、 内親王の山荘は、父の後水尾上皇の死去により、光子内 親王が出家して林丘寺となりました。一の間は林丘寺御 居間でした。 林丘寺二代普光院宮が、25歳の時に疱瘡にかかり、そ の治療祈願のために、護摩を長期間焚いたため煤で室内 が黒ずんでいたそ