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『千利休と南宋寺の実相庵』
1557年(弘治3年)三好長慶が父元長の菩提を弔うため、 大徳寺の大林宗套を開基とし、現在の中之町... 1557年(弘治3年)三好長慶が父元長の菩提を弔うため、 大徳寺の大林宗套を開基とし、現在の中之町東4丁(妙法寺付近) に壮大な寺院を造営した。その施設として茶室実相庵があった。 南宗寺実相庵(なんしゅうじじっそうあん)は茶道と関係が深く、 武野紹鴎、津田宗達、津田宗久、千利休らは初代の大林和尚、 2代目笑嶽和尚に就いてここで学んでいます。実相庵は方丈(本堂) の西側に接続しています。 実相庵の写真です。手前(曹渓の庭)に水琴窟があります。 利休好みの茶室として有名です。大阪夏の陣で消失しますが、元和 3年(1617年)に京都大徳寺の住職沢庵和尚により再建されま した。第二次大戦で再度消失し、戦後設計図があったので復元されます。 千利休(せんのりきゅう)ごのみの茶室で二畳台目(にじょうだいめ) です。(二枚の規格サイズの畳と、台目畳をつかった茶室を 二畳台目という(茶室に敷かれる京畳の4分
2021/09/27 リンク