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『イランのハメネイ最高指導者の経済帝国(6)』
セタードと呼ばれる経済帝国を支配するイランの最高指導者のハメネイが、権力の階段を登り始めたのは、1... セタードと呼ばれる経済帝国を支配するイランの最高指導者のハメネイが、権力の階段を登り始めたのは、1979年のイラン革命期からである。シャーが亡命し、代わりに亡命先からホメイニ師が帰国し革命政権が成立した。当時40歳だったハメネイは、イスラム共和党という政党の立ち上げに参画した。また現在のイラン憲法が新たに起草され国民投票で批准された。この憲法がイスラム法学者の指導的な地位を規定している。これがホメイニ師に、そして後継者のハメネイに大きな政治権力を与えた。さらに憲法は、放棄された土地の接収と犯罪行為によって取得された富の没収を定めている。この二つの条項が、セタードの拡大の法的なアリバイとなった。 革命後には、今度は革命を担った諸勢力の間で権力闘争が始まった。この闘争の過程でハメネイはテロで負傷しながらも権力の階段を登った。まず議会で有力議員になり、次に大統領となった。そして1989年にホメイ