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戦時下の沖縄芸能 「ウチナーグチ禁止」監視、検閲大きな制限/琉球新報 - 薔薇、または陽だまりの猫
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戦時下の沖縄芸能 「ウチナーグチ禁止」監視、検閲大きな制限/琉球新報 - 薔薇、または陽だまりの猫
戦後65年目の「慰霊の日」を迎えた沖縄。戦時中はウチナーグチを使うことが制限され、琉球伝統芸能も... 戦後65年目の「慰霊の日」を迎えた沖縄。戦時中はウチナーグチを使うことが制限され、琉球伝統芸能も脚本、歌詞などの検閲を通さねばならなかった。文化に不可欠な土台である言葉を禁止された上に戦意高揚へつなげる劇や民謡も多く出るなど翻弄(ほんろう)された。当時の状況を芸能関係者や研究者らの話とともに振り返る。(古堅一樹) 大阪の沖縄芝居小屋へ警察官が近づく。気付いた芝居小屋の入り口にいる係員が叫ぶ。「マヤーがチョーンドー!(猫が来たよ)」。その瞬間、座長の指示で上演中の芝居は中断し突然、琉球舞踊へ切り替わる。ウチナーグチで芝居が行われていないか監視に来た警察官がしばらく滞在し、帰る。係員が「マヤーヤ、ハイタンドォー」と一声掛けると芝居の途中から再開する。 1940~46年ごろに大阪で公演した大宜見朝良舞踊団(大宜見小太郎らも所属)で見られた光景だ。同じ一座として舞台に立った小太郎氏の妻・静子さん(