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話の合わせ方 - 恐山あれこれ日記
仏教徒というからには、少なくとも、ゴータマ・ブッダが「悟っ」て「涅槃」に入ったという話を、それが... 仏教徒というからには、少なくとも、ゴータマ・ブッダが「悟っ」て「涅槃」に入ったという話を、それが現実に起ったことだと認めなければなりません。これが最低条件です。 ここで最も困るのは、何が「悟り」で何が「涅槃」なのか、あるいは「悟った」まさにそのとき何が起きたのか、「涅槃」とはいったいどういう状態なのか(そもそもそれは「経験」の対象と言えるのか)、皆目わからないことです。どの経典にも、ブッダ自身がこれらを直接テーマとして解説した部分は見当たりません。 しかし、そうは言っても、何しろ仏教の核心ですから、とりわけ後に仏教の「プロ」化した弟子たち(民衆からお布施もらって生活している者たち)にとっては、ただ「わかりません」では済みません。 すると、ブッダが残したとされる言説(様々な経典)から、「悟り」「涅槃」を自分たちなりに推定して語ることになります。これらの推定はしばしば「ブッダの真意だ」と勝手に
2016/06/20 リンク