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正しい認識で、身の供養と財の供養を - 正林寺法華講員手引書
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正しい認識で、身の供養と財の供養を - 正林寺法華講員手引書
「供養」とは供給資養の義であり、供給・供施・供ともいいます。諸物を仏法僧の三宝・父母・師長・死者... 「供養」とは供給資養の義であり、供給・供施・供ともいいます。諸物を仏法僧の三宝・父母・師長・死者などに供給する大切なことです。 日蓮正宗における「供養」の意義は、下種三宝様である御本尊様と日蓮大聖人、日興上人已来の歴代上人に対する報恩感謝の気持ちで供養することが大事です。 その反対に、これだけ御本尊様に供養したからという慢心や報恩感謝の欠片のない気持ちには、供養の意味がありません。形式だけであり、御供養におけるところの本当の功徳を頂くことが出来ません。過去にこれだけ供養したからという慢心や醜い執着は成仏の妨げになります。供養に対する微妙な気持ち・志しが大きく影響してきますので、供養はいい加減な気持ちで行わないことです。逆に仏罰を被り三悪道の命が強盛となって悪縁に紛動されやすくなります。正しく「持ち難い」仏法であり、御供養に対し、ちょっとした気持ちの違いで御本尊様から頂く功徳に天地雲泥の違い