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2517 佐藤成の論文『賢治と「オリザ」』より - みちのくの山野草
賢治が詠んだ〔あすこの田はねえ〕における あっちは少しも心配がない 反当二石五斗ならもうきまったや... 賢治が詠んだ〔あすこの田はねえ〕における あっちは少しも心配がない 反当二石五斗ならもうきまったやうなものなんだ の部分が、推敲されて約10ヶ月後公発表された「稲作挿話」においては あつちは少しも心配ない 反当三石二斗なら もう決まつたと云つていゝ となっていることが気掛かりだ。 という意味のことを投稿したことがあった。 このことに関連する論文が『江古田文学45号』に載っていた。それは佐藤成氏の『賢治と「オリザ」』という論文であった。 1.佐藤成氏の見解 佐藤成氏は次のようなことをそこで論じていた。 賢治が羅須地人協会で定期的な講義を開始し稲作指導に意慾を燃やしていた昭和二年(一九二七、七、一〇、)の作品(一〇八二)に陸羽一三二号がうたわれてる。〔あすこの田はねえ〕 「稲作挿話」(未定稿)下書稿には <あすこの田はねえ/あの品種では少し窒素が多すぎるから/(中略)幾日の養蚕の夜にやつれてゐ
2012/02/11 リンク