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内蔵のまち増田(秋田県横手市) - あの町この街あるこうよ
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内蔵のまち増田(秋田県横手市) - あの町この街あるこうよ
昨年の東北旅中に八甲田山で川越から来ていたご夫婦に出会った。そのおふたりはここから内蔵のまち増田... 昨年の東北旅中に八甲田山で川越から来ていたご夫婦に出会った。そのおふたりはここから内蔵のまち増田を目指すと、内蔵の豪華さを話された。我々は奥入瀬を予定していたので、増田は次回にまわしたので、今回楽しみにしていたまちである。 「蔵のまち」と云うと、小江戸と呼ばれる川越を浮かべるが、川越の蔵は「見世蔵(みせぐら)」と呼ばれ、江戸時代以降に発展した商家建築の様式の一種で、土蔵の一種ではあるものの、店舗兼住宅として用途が異なることから、別格の蔵の扱いで独自の発展を遂げている。 ここ、増田町は横手盆地の一画に位置し、江戸時代では佐竹藩の領地ではあるが、伊達藩の手倉街道と小安街道が交差する要衝であって、物資の集配地として商人が栄えた。寛永20(1643)年からは朝市が始まり人の往来多かった。 明治期には、生糸、繭、葉タバコ、酒造が主力商品として、更に商業活動が活発となった。 当時の繁栄を今に伝えるもの