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『マルチチュードの文法--現代的な生活形式を分析するために』パオロ・ヴィルノ(月曜社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
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『マルチチュードの文法--現代的な生活形式を分析するために』パオロ・ヴィルノ(月曜社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
→紀伊國屋書店で購入 「現代における労働の意味」 ネグリ/ハートの『帝国』以来、流行になってきたマル... →紀伊國屋書店で購入 「現代における労働の意味」 ネグリ/ハートの『帝国』以来、流行になってきたマルチチュードの概念は、政治や文化などのさまざまな次元で考察すべきものだと思うが、本書が語るように、現代における労働の概念とも切り離すことができない。著者はマルチチュード、すなわち「多数的なもの」を、「ポストフォーディズム的労働者」(p.12)のことと考える。そして自覚するかどうかは別として、それは現代の社会で生きるぼくたちのことでもあるのだ。 アダム・スミスの『国富論』の冒頭で分業の生産性の高さが称揚され、マルクスが分業における疎外を指摘していらい、ずいぶんと長い時間が経過したものだと思わざるをえない。現代でも労働が疎外されたものであることは変わらないとしても、もはや労働者の労働は剰余価値を作り出すものとしては、それほど大きな地位は占めていないのである。 現代の工場労働は、オートメーションのも