エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
コラム:臨時車両設計事務所はなぜ「臨時」だったのか - COQTEZ Blog
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
コラム:臨時車両設計事務所はなぜ「臨時」だったのか - COQTEZ Blog
#シリーズ「PEの歴史」は、いったんお休みします。 昭和32(1957)年2月21日。それまで国鉄の車両設... #シリーズ「PEの歴史」は、いったんお休みします。 昭和32(1957)年2月21日。それまで国鉄の車両設計部門は工作局客貨車課と動力車課に置かれていましたが、「臨時車両設計事務所」という名称で本社付属機関として分離独立することになりました。 でも、なぜ臨時だったのでしょうか? 1.表向きの理由 翌年昭和33(1958)年からの「五か年計画」が取りまとめられており、その計画の目的には老朽化した車両を新しいものに置き換えることが含まれていました。ですから、5年間という区切られた時間が終われば、車両の設計業務も一段落することになるのでそれまでの臨時セクションである、というわけです。 しかし、その決定に実はもっと複雑な背景がありました。 2.組織改革の背景と経緯 まず、その頃は初代ブルートレイン車両となる20系客車や、新形通勤電車のモハ90形(101系)電車など、新しい技術を盛り込んだ車両が数多