エントリーの編集
![loading...](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/common/loading@2x.gif)
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
![アプリのスクリーンショット](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/entry/app-screenshot.png)
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
2022/03/15 - 偽日記@はてなブログ
●『1936年の日々』(テオ・アンゲロプロス)をDVDで観た。 アンゲロプロスは若い頃から大好きなのだが、一... ●『1936年の日々』(テオ・アンゲロプロス)をDVDで観た。 アンゲロプロスは若い頃から大好きなのだが、一時期、「気持ちとして今ちょっと観られない」感じになっていたことがある。アンゲロプロスに限らず、(いわゆるシネフィルに評価されるような)二十世紀のモダンクラシックの映画の多くに対し、今はちょっとこれは辛い、という気持ちをもつようになった時期がある。たしかに立派だが、しかしもう、これは終わってしまったことなのだという感じがあった。 特にアンゲロプロスのような政治=形式みたいな作品のあり方は、今はもう不可能ではないかという気持ちがあった。『1936年の日々』がつくられた七十年代初め頃のアンゲロプロスにとって、政治的に左派であることと、芸術的(形式的)に前衛的であることは、分かちがたく結びついていたと思われる。七十年代初頭の軍事独裁政権下のギリシアで、1936年に起きた、右派が台頭する---