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Cute.Guides: アーヴィング・ゴフマンの社会学〜ありふれた「コミュニケーション」を考える〜: スティグマ、全制的施設
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Cute.Guides: アーヴィング・ゴフマンの社会学〜ありふれた「コミュニケーション」を考える〜: スティグマ、全制的施設
「レッテルを貼る」という表現を耳にする、あるいは使ったことのある人は多いのではないでしょうか。 こ... 「レッテルを貼る」という表現を耳にする、あるいは使ったことのある人は多いのではないでしょうか。 この表現の背景には、「人を一面的に判断するな」という規範が存在しています。自分の判断のみで相手の「役割」および「自己」を規定し、その「役割」にふさわしく振る舞うよう相手に強制することはしてはいけないと、少なくとも皆頭ではわかっています。 しかし一方でこうも考えてはいないでしょうか。「そんなこと言っていたらだれともコミュニケーションをとれなくなる」と。 今までみてきたように、私たちは日常生活のなかで常に誰かの「役割」を特定し、それを演じることを求めると同時に、自分自身もその場にふさわしい「役割」を演じています。そう考えると、皆少なからず誰かに「レッテル」を貼り、また貼られているともいえます。なぜならそうしないとコミュニケーションは成立しないからです。私たちは自らが演じ、また他者が演じる「役割」やそ