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英語学習は現実逃避の手段&制約への耐性の無さ - 京大卒ニートの自由帳
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英語学習は現実逃避の手段&制約への耐性の無さ - 京大卒ニートの自由帳
私は日本人です。日本から出たこともなく、これ以上ないほどに日本文化・日本語による影響を人格に受け... 私は日本人です。日本から出たこともなく、これ以上ないほどに日本文化・日本語による影響を人格に受けています。 それ故に日本語を喋っている時、その文化の影響を20年以上受け続けてきた”私”がリアルタイムでつきまとい続けます。 それは至極当たり前のことなのですが、最近それをストレスに感じるようになってきました。 現実逃避手段としての英語 1つの言語しか扱えない不自由さは勿論のこと、それ以外にも、何を考えるにも日本から多分に影響を受けた人格を帯びる、この思考からスタートしなくてはいけない(勿論これは無意識下の作用でしょうが)という事実が非常に制約として感じられます。 正直、日本語を使っている時の自分はあまり好きではありません(だからと言って英語を自由自在に使えるわけでも無いのが悲しいところ)。 面白いのが、日本語を使っている時に感じるそうした不愉快さ・制約は、英語を使っている時にはほとんど消失する