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よって京都にやってくる土一揆は、京都住民にとっては甚だ迷惑な存在である。土一揆が暴徒化した場合、... よって京都にやってくる土一揆は、京都住民にとっては甚だ迷惑な存在である。土一揆が暴徒化した場合、盗賊と大差ない。土一揆は必ずしも反権力の集団ではなく、民衆の敵になることもあるのだ。 応仁の乱で室町幕府の権力が衰えると、その落ち込みを埋めるかのように、京都では町衆(富裕住民)を中核とした自治が発達していく。この住民自治も戦後歴史学においては「民衆の政治的成長」として高く評価されてきた。 ところが戦国時代に京都で町衆の自治が発達した背景には、自衛意識の高まりがあった。外部勢力が京都に侵攻し、略奪・放火を行うことを防ぐには、住民による防衛態勢の構築が必要である。一致団結して組織的な防衛を行う中で町衆の自治は進展していったのであり、また自治を基盤に防衛態勢は強化された。 そして重要なのは、戦国史研究者の神田千里氏が近年指摘したように、京都住民にとっての「外敵」の中に土一揆も含まれるという事実である
2018/08/13 リンク