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【1・17の記憶】25年前、この街で誰が亡くなった? 名前の刻まれない慰霊碑―傷跡の見えない街(神戸新聞NEXT) - Yahoo!ニュース
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【1・17の記憶】25年前、この街で誰が亡くなった? 名前の刻まれない慰霊碑―傷跡の見えない街(神戸新聞NEXT) - Yahoo!ニュース
25年。それだけの歳月が流れれば、街はどれだけ変貌するだろう。1995年1月17日に起こった阪神・淡路大震... 25年。それだけの歳月が流れれば、街はどれだけ変貌するだろう。1995年1月17日に起こった阪神・淡路大震災。傷痕が見えなくなった今、土地の記憶をたどる人たちがいる。神戸市東灘区本山中町4丁目。この街に昨年春、小さな慰霊碑が建てられた。 【写真】香川真司、原点は被災地で見たカズ 「慰霊碑ができて、初めての1月17日を迎えます」 大型の台風19号が過ぎ去った2019年10月13日。JR神戸線摂津本山駅の南、マンション集会室で開かれた「国道地蔵尊」奉賛会の総会で、会長の大町真由美さん(72)は話し始めた。 戦前から国道2号の安全を見守ってきたお地蔵さん。その一角に19年4月21日、高さ50センチ余りの震災慰霊碑が建てられた。本山中町でも、「4丁目」だけの碑だ。 東側の2丁目にある中野北公園には、震災翌年の1996年に碑ができた。だが、そこには1~3丁目で亡くなった75人の名前しか刻まれていない