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本能寺と織田信長 - 京都
映画『将軍SHOGUN』などで知られるイギリス人、ウィリアム・アダムスは、17世紀初めの日本で、青い目の... 映画『将軍SHOGUN』などで知られるイギリス人、ウィリアム・アダムスは、17世紀初めの日本で、青い目のサムライとして徳川家康に仕えた。しかしそれより20年も前に、実は、織田信長に仕えた黒い肌のサムライがいたことをご存知だろうか。その人は、アフリカから海を渡ってインドへ、そして1579(天正7)年に日本にやって来た。そこで主君、信長から弥助(やすけ)という日本名を与えられ、約一年半、信長の家臣として生きるという類まれな日々を過ごしたのである。運命の1582(天正10)年6月2日、弥助は本能寺にいた。そして信長を守るために、最後まで勇敢に戦ったという。悲しいことに、弥助の本名を記した記録はない。だが、2013年6月に放送された『世界ふしぎ発見』では、弥助はモザンビークのマクア族の出身で、ヤスフェという名前だったのではないかと推測されていた。 宣教師と弥助 1579(天正7)年、イエズス会の宣
2024/07/30 リンク