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真島健三郎 - Wikipedia
真島 健三郎(ましま けんざぶろう、1873年 - 1941年)は、日本の海軍技師(軍属)。構造エンジニア。 ... 真島 健三郎(ましま けんざぶろう、1873年 - 1941年)は、日本の海軍技師(軍属)。構造エンジニア。 日本におけるRC構造の先駆として、また柔構造理論の発案者で大正期に建築構造家佐野利器らとの柔・剛論争でつとに有名。香川県出身。 経歴[編集] 1873年(明治6年)、香川県で西条求次郎の三男として生まれ、製紙会社を経営する真島襄一郎の三女をもらい真島家に入る。1896年(明治29年)7月札幌農学校工学科卒業後、恩師広井勇が責任者として従事していた北海道庁の小樽築港工事に助手として工事にあたった[1]。1899年(明治32年)海軍技師に任用され、翌1900年(明治33年)から佐世保鎮守府経理部建築課に勤務。 小野田セメントの協力を得て1901年(明治34年)から1902年(明治35年)にかけて水雷艇船渠築造の主任として、当時まだ採用を危ぶまれていたコンクリート造建物の施工に携わり[2