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指先から群島へ。北里義之「サウンド・アナトミア」 - Beach Diary (よりぬき)
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指先から群島へ。北里義之「サウンド・アナトミア」 - Beach Diary (よりぬき)
年末に北里義之氏の「サウンド・アナトミア」を読み、以来、この本について折りに触れて考えることがあ... 年末に北里義之氏の「サウンド・アナトミア」を読み、以来、この本について折りに触れて考えることがあった。 本の副題には「高柳昌行の探求と音響の起源」とあるけれども、じつを言えば、ぼく自身は、高柳昌行の音楽の熱心な受け手であったとは言い難い。だから、この本の前半に書かれている数々の論考については、具体的な音楽や活動を思い浮かべながら読むというよりは、あくまでことばで構築されたものの中からなにがしかを汲み取ったというにとどまった。 そのせいもあって、前半を読んでいる間は、そこでキーワードとして扱われている「汎」あるいは「投射」ということばに、必ずしもピンと来るものがなかったというのが正直なところだ。 しかし、後半、特に大谷能生の「ジョン・ケージは関係ない」に答える形で、フーコーの「臨床医学の誕生」を軸に書き進められた論考からは一気に読んだ。大谷能生の論は批判的に読み進められているものの、そこでぼ