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納豆とわたし - 傘をひらいて、空を
わたしが納豆を食べるようになったのは二十八歳のときである。 食べ物の好き嫌いの少ない子どもだったの... わたしが納豆を食べるようになったのは二十八歳のときである。 食べ物の好き嫌いの少ない子どもだったのに、納豆だけはどうしてか強く拒否していたらしい。生家は関東だが、納豆を常食する家ではなく、食べなくてもよかった。しかし、小学校の給食で年に一度だけ納豆が出た(なぜ年に一度だったのかは覚えていないが、とにかく絶対に一度だけ出たのである)。小学校一年生の時分から、わたしはそれを拒否していたのだそうである。 いわゆる「完食指導」があった時代だ。高学年になるとより厳しくなるようだった。それでわたしは納豆の日だけ仮病を使って学校を休むようになった。ろくに風邪もひかない丈夫な子どもだったが、年に一度の給食納豆の日には「熱がある」と言って家で寝ていた。他の日に仮病を使ったことはない。仮病を増やして「ずる休みだ」と指摘され、その結果納豆を食べざるをえないことをひどく怖れていたように思う。クラスの皆にも担任の先