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2006-03-15
>< 例えば古代史を眺めるときと現代史を眺めるときでは何が一番違うかといえば、時間のスパンである。例... >< 例えば古代史を眺めるときと現代史を眺めるときでは何が一番違うかといえば、時間のスパンである。例えば奈良時代のことといえば数十年単位で物事が起きるので、そこに関わる人間が全く別の人間であることはあたりまえのことなのだが、現代史は違う。やたらと事件は起こり、そこに携わる人間は同じ人間であったりする。このところ立花隆の「東大と天皇」をぽつぽつと読んでいるのだが、ここに登場する戦前の過激な右翼思想の青年たちはたかだか私の祖母祖父ぐらいの世代(全員他界しているが)なのであり、肉感的な連続性、圧倒的な連続性を感じざるを得なくなる。近年ヤスクニだのなんだの、と叫んでいる首相議員なぞはまさに彼らの子や孫である。ついでに同じように圧倒的な資料を駆使した小熊英二の戦後史「民主と愛国」もあわせれば、日本の戦前・戦後がいかに連続してひとつの”二十世紀”であるのかを知ることになる。あるいは私がふと思ったのは、
2006/03/23 リンク