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國分功一郎『暇と退屈の倫理学』 - martingale & Brownian motion
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國分功一郎『暇と退屈の倫理学』 - martingale & Brownian motion
日本の歴史において、応仁の乱ほど、決定的に日本を変えたものはないと、たとえば歴史学者の内藤湖南は... 日本の歴史において、応仁の乱ほど、決定的に日本を変えたものはないと、たとえば歴史学者の内藤湖南は言う。この時代が100年近く続いたのだろうか。100年といえば、2、3世代をまたがって、続いたというのだから、なんとも、すごい時代だ。いろいろと、旱魃などで、大変だったのだろう。 その応仁の乱の特徴は、なんといっても、都市機能が維持できなかったことなのだろう。まさに、ワンピースの世界であり、街では、荘園貴族の屋敷を、かたっぱしから、盗賊たちが、金品を略奪していく。 ある種の、政府機能が雲散霧消化していったとき、そういった貴族たちの財産が、盗人たちに奪われるという状況が現れる。そうやって滅びていった貴族たちに代わって、100年かけて、少しづつ、新たな実力者たちが、各地方から現れてきて、彼らが形成してきた秩序が、今の日本だということになるのだろうか。 しかし、私たちに興味深いのは、そういった、秩序が