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八十八夜の茶摘み歌 - 都々逸と作詩
本日は八十八夜である。 立春から数えて、もう八十八日も経ってしまったことになる。 八十八夜というと... 本日は八十八夜である。 立春から数えて、もう八十八日も経ってしまったことになる。 八十八夜というと、私はすぐに唱歌の『茶摘み』を思い出す。 歌詩を引用しよう。 夏も近づく 八十八夜 野にも山にも 若葉が茂る あれに見えるは 茶摘みぢゃないか あかねだすきに 菅の笠 日和つづきの 今日このごろを 心のどかに 摘みつつ歌ふ 摘めよ摘め摘め 摘まねばならぬ 摘まにゃ日本の 茶にならぬ この歌は、作詩者も作曲者も不詳で「歌詩のおよそ半分は京都に伝わる茶摘み歌を流用して作られた」という説が有力だ。要するに民謡を元にしていることになる。 古くから伝わる茶摘み歌の歌詩には、資料によって多少の違いがあるようだが、一つ挙げれば、 向こうに見えるは 茶摘みじゃないか あかねだすきに 菅の笠 お茶を摘め摘め 摘まねばならぬ 摘まにゃ日本の 茶にならぬ と、いうものがある。 唱歌の『茶摘み』が、これを元にしている