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擬宝珠|本ノ猪
私は今、五条大橋の入口に立っている。 右手には文庫本があり、左手は上着のポケットに突っ込み、中でカ... 私は今、五条大橋の入口に立っている。 右手には文庫本があり、左手は上着のポケットに突っ込み、中でカイロをにぎにぎしている。 移動途中に五条大橋を見つけたわけではない。五条大橋は、目的地の一つだ。今回の散策では、五条大橋、四条大橋、三条大橋を、北上しながら順に見ていく。 なぜそんなことをするのか。その原因は、右手に摑んだ本にある。 * 三代目桂米朝が落語にゆかりのある上方の諸地を巡り、その趣きを綴った『米朝ばなし』に、次のような文章がある。 「「見てみ、あっちの三条の大橋、こっちの五条の大橋、みな擬宝珠があるやろ。この四条の橋だけ擬宝珠がない。それでなげいたちゅう話がある」「なんで?」「三条の橋は先斗町、五条の橋は宮川町、七条新地。しかしなんというても四条の橋は、あっちが祇園町で、こっちが先斗町、一番色っぽい女が通るやろ、ちゅうたら、四条の橋が言うた。"なんぼオナゴが通っても、ワシにはかんじ