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北斎が死の淵から自力で蘇ったという話|太田記念美術館
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北斎が死の淵から自力で蘇ったという話|太田記念美術館
葛飾北斎は文政10~11年(1827~28)、数え68~69歳の頃、中風(ちゅうぶう)、すなわち脳血管障害の病気... 葛飾北斎は文政10~11年(1827~28)、数え68~69歳の頃、中風(ちゅうぶう)、すなわち脳血管障害の病気を患います。 脳血管障害の症状は人によって様々ですが、たとえば、北斎の兄弟子である勝川春好も中風を患い、絵師の命ともいえる利き手が麻痺してしまいました。晩年は左手で絵を描くようになりますが、病気する前と同じようにはいかなかったことでしょう。 歌川国芳も安政2年(1855)、59歳の頃に中風で倒れます。しばらくして回復し、作画活動を続けますが、健康状態はあまりよくなく、画力も落ちたようです。国芳研究の第一人者である鈴木重三氏は「安政期は中風を患い衰退の様相が進む。描線に生気なく、構想も働きが乏しくなる。」と評しています(『国芳』平凡社、1992年)。 では、中風を患った北斎はどうなったのでしょうか。春好や国芳とは違い、なんと北斎はすっかり元のように回復するのです。その訳には、北斎自