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首都防衛高射砲陣地跡 - 日刊 おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)
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首都防衛高射砲陣地跡 - 日刊 おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)
調布飛行場から見て対岸に、「どんぐり山」と呼ばれる高台があります。 住所で言うと東京都三鷹市大沢4... 調布飛行場から見て対岸に、「どんぐり山」と呼ばれる高台があります。 住所で言うと東京都三鷹市大沢4丁目です。 現在、私立の保育園があるこの高台からは、調布飛行場を見下ろすことができます。 ここに太平洋戦争時に、空襲で飛来する米軍機を迎え撃つ高射砲が装備され、 東部第1903部隊調布隊が駐留していました。 (帝都防空の高射砲部隊) 1944年(昭和18年)9月、調布飛行場を一望できる見晴らしがいい、どんぐり山の一帯に、首都防衛のため高射砲陣地が置かれました。 ここには「八八式7センチ野戦高射砲」6門が備えられ、仲午六隊長以下186名の東部第1903部隊が陣地を構築し駐屯していました。 1945年(昭和20年)2月17日、正午過ぎに中島飛行機武蔵製作所を攻撃した米軍の戦闘機・グラマンが、この高射砲陣地にも襲来し、銃撃戦となり調布隊の4人が戦死しています。 これは日本本土での初めての米艦載機と地