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「不幸」の反対は、本当に「幸せ」なのか? - 優しい唄歌い
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「不幸」の反対は、本当に「幸せ」なのか? - 優しい唄歌い
「不快」から遠ざかっても、不思議なことに「快」にはなりません。 「苦しい」ことから遠ざかっても、 ... 「不快」から遠ざかっても、不思議なことに「快」にはなりません。 「苦しい」ことから遠ざかっても、 「楽」にはなりますが、「楽しく」はない訳です。 思うに、「不幸」と「幸せ」は同じ軸線の上にないように感じます。 「不幸」が全くない生活をしていても、 その状態イコール「幸せ」にはならないと思うのです。 例えば、紛争のある国を引き合いに出して、 日本のように平和な国に生まれたのだからそれだけで「幸せ」だろうという論調がありますが、 これは「不幸」から遠ざかっているから「幸せ」だという理屈だと思います。 しかし、本当にそうなのか? 確かに平和な国に生まれたことは有り難いことですし、 「幸せ」だと感じるべきとは思います。 しかしそう言われて、だから「幸せ」だと感じることが本当にできるのでしょうか。 そんな簡単に「幸せ」になれたら、初めから誰も悩んでいないと思います。 やはり「不幸」から遠ざかるだけで