エントリーの編集
![loading...](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/common/loading@2x.gif)
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント1件
- 注目コメント
- 新着コメント
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
![アプリのスクリーンショット](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/entry/app-screenshot.png)
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
73回目の夏に語る「満州引き揚げ」 略奪や虐殺、いまだ止まらぬ涙 群馬
□4歳の妹が途上で病死 下仁田の佐藤和江さん(81) 15日、日本は終戦から72年を迎える。長い戦... □4歳の妹が途上で病死 下仁田の佐藤和江さん(81) 15日、日本は終戦から72年を迎える。長い戦いの終幕は苦しい新生活の始まりで当時、満州国(現・中国東北部)にいた推定155万人の民間邦人は生活が一変、全財産をなくし、追われるように日本を目指した。満州の首都・新京(現・長春市)で生まれ昭和21年秋、家族と引き揚げてきた下仁田町の佐藤和江さん(81)が73回目の夏を前に、あまり公にしてこなかった体験を語った。 ◇押し寄せる朝鮮人 昭和20年8月15日、9歳だった佐藤さんは、満州と朝鮮国境の町、大栗子(だいりっし)で玉音放送を聞いた。 「日本が負けるなんて」 2週間ほど前、新京から逃れてきた日本人たちは全員が涙した。だが放送が終わった途端に状況は一変。棍棒(こんぼう)やナタを手にした朝鮮人が押し寄せ時計や指輪、財布から屋根裏に隠していた荷物をさらっていった。朝鮮人だけでなく、日ソ中立条約を一
2024/06/24 リンク