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再びDNAR指示について考えていく - Gabbardの演習林
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再びDNAR指示について考えていく - Gabbardの演習林
その後、DNAR指示について考えている。 どうして精神科医がこんな問題を考えるのか、不思議に思われるか... その後、DNAR指示について考えている。 どうして精神科医がこんな問題を考えるのか、不思議に思われるかもしれない。 でも私にとっては重要な問題だ。 それは、一つに精神障害をもった患者さんの判断能力を検討する際によく用いられるキーワードであるautonomyという概念に、深く関わる臨床的課題であるからである。自己決定、自律と訳されるこの概念に最大のプライオリティをおいて議論を進める、現代の欧米の医療倫理のあり方が、どうしても信頼できない。 そしてautonomyの力を欠いている、すなわち意思決定能力がないとされる人が、他者によって「QOLが低い」と判断されて、延命治療の差し控えが許容されるロジックが次第に力を持ち始めている。が、この意見を、私はどうしても首肯できない。 「理屈ではそうかもしれない、でもそのロジックにはどうしても納得できないぞ」、という感覚に正直であろうとすること。それを大切に