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感情レヴュー - 小田実追悼——原爆文学史試論
1945年の8月6日と9日に何がおこったのか知らない渋谷の学生たちへのインタビューからはじまるスティーヴ... 1945年の8月6日と9日に何がおこったのか知らない渋谷の学生たちへのインタビューからはじまるスティーヴン・オカザキのドキュメンタリー映画『ヒロシマナガサキ』は、原爆という出来事を、その基本の基本にたち返って検証しようというスタンスから作られた作品です。 当時の記録映像や存命被害者の証言、彼らの身体にいまだしも残る深い傷跡を90分見聞きすることは、圧倒的な事実を突きつけられているように感じました*1。いまだ原爆の負の側面を教育しないアメリカ、原爆の教育を怠りつつある日本には意義の多い作品であることは間違いありません*2。 とはいえ、原爆教育の話をここでするつもりはありません。そういうことよりも、核というもの原爆というものは日本のアイデンティティーの重要な一部として、そろそろというか改めてというか何度も繰り返しというか、再認識した方がいいのではないかと思ったりします。たとえば、原爆をテーマに
2007/08/11 リンク