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覇権の起源(3)ロシアと英米
2008年9月3日 田中 宇 記事の無料メール配信 この連載の1回目に書いたように、19世紀にイギリ... 2008年9月3日 田中 宇 記事の無料メール配信 この連載の1回目に書いたように、19世紀にイギリスが覇権国となれたのは、世界最強の海軍力を持っていたからだった。そこから派生して考えられるのは「海軍力に頼るイギリスにとって、強い陸軍がないと攻められないロシアは、大変苦手な相手だった」ということである。ロシアはこれまで、19世紀のナポレオンと、20世紀のヒットラーによって侵攻されたが、いずれも侵略者の敗北で終わっている。 海軍が強く、世界の多くの沿岸国に対して覇権を持っていたイギリスは、ロシアの外側にあるユーラシア大陸の外縁部は、イラン・インドから中国沿岸部まで、ぐるりとおさえていた。しかし英は、大陸の内陸部に影響力を行使するのは難しかった。英の対露戦略は、ロシアがユーラシアの内陸から海岸部に出てこないよう封じ込める戦略となった。日本と日英同盟を組み、1904年の日露戦争を誘発したのが、そ