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ニッポンの洋楽の立役者たち 音楽評論家・湯川れい子インタビュー① | WHAT's IN? tokyo
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ニッポンの洋楽の立役者たち 音楽評論家・湯川れい子インタビュー① | WHAT's IN? tokyo
伝説となった1966年のビートルズ来日で本格的に始まったとも言われる“洋楽”シーン。洋楽黄金期と言われ... 伝説となった1966年のビートルズ来日で本格的に始まったとも言われる“洋楽”シーン。洋楽黄金期と言われる70〜90年代を紐解く中で見えてきた特異なジャンル。世代共有の回想、そして後世に伝えるための特集、“洋楽” in ニッポン。 ポピュラー音楽の評論家としては日本の草分けである湯川れい子さんの作詞家デビュー作「涙の太陽」は最初、英語詞で書かれ、日本人を外国人シンガーに仕立てて洋楽扱いでリリースされた。後にそれが「日本のチームによる邦楽曲」とバレて話題をさらに呼んだ。その後もシャネルズの「ランナウェイ」やアン・ルイスの「六本木心中」など数々のヒット曲を放っているが、60年代から今に至るまで日本で求められる洋楽が生まれた背景や作詞家から見た日本の洋楽について、元アシスタントの和田靜香が話を聞いた。 洋楽、邦楽を問わず、また戦前、戦中、戦後を問わず、 日本でヒットした曲はまず歌詞だったと思うの