エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント1件
- 注目コメント
- 新着コメント
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
uumin3の日記-江戸の祭り
今は江戸三大祭などという呼び方もありますが、将軍上覧の祭として知られていたのは山王権現(日枝神社... 今は江戸三大祭などという呼び方もありますが、将軍上覧の祭として知られていたのは山王権現(日枝神社)の山王祭と神田神社の神田祭だけです。山王祭は寛永十一(1634)年から、神田祭は元禄元(1688)年から江戸入城を許され上覧の栄に浴していました。幕府は後に出費抑制の点から、この二つの祭をそれぞれ交互に隔年で上覧される祭礼として位置づけております。三社祭は残念ながら江戸期にはこれらと肩を並べるものではありませんでした。(※山王祭と神田祭には「天下祭」の異名があります) 浅草寺の附属の社であった三社権現社は明治新政府の神仏判然令(神仏分離令)*1によって浅草寺から分かれ、今の浅草神社になっています。 神社サイトの「三社祭の今昔」にも少し記述がありますが、かつての三社権現社の祭礼は浅草寺と一体のもので「観音祭」とも呼ばれていました。そして興味深いのは、おそらくそれ以前から「船祭」と呼ばれていた祭り
2007/05/21 リンク