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温故知神—福音は東方世界へ(49)景教小事典④ 川口一彦
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温故知神—福音は東方世界へ(49)景教小事典④ 川口一彦
聖霊(浄風)に関して唐代の景教徒たちはどのように理解し、伝えていたのか。 聖霊の用語は「浄風」「元... 聖霊(浄風)に関して唐代の景教徒たちはどのように理解し、伝えていたのか。 聖霊の用語は「浄風」「元風」「涼風」があり、他にシリア語の「Ruha(霊)」「dekudsa(聖)」から漢訳し「蘆訶寧倶沙」と書き、尊経に1回出ます。シリア語の霊の漢訳として「囉嵆」(読み不明)があり、志玄安楽経に2回出ます。 浄風はきよい風から聖書的かと考えます。唐代には「霊」の用語の使用はなく、人の霊魂と混同することから使用しなかったかと考えます。景教碑に「三一浄風は、言なく新教により人を救い正しい信仰へと導いた」と教えています。世尊布施論には、マタイの福音書28章19、20節を「父子浄風の字(名)で水に向かわしなさい」とあります。 古代教会は聖霊の用語や使用について、古ローマ信条(最古の教会信条)やニケア信条においても多くは語らず、「我は聖霊を信ず」だけです。新約聖書では聖霊が多く語られています。それは聖霊降臨