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耳寄りな心臓の話(第21話)『 銃弾よりも多くの命を奪った脚気心』|はあと文庫|心日本心臓財団刊行物|公益財団法人 日本心臓財団
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心臓病の予防と啓発のための冊子を多く発行しています。 バックナンバーをPDF版にして掲載していますの... 心臓病の予防と啓発のための冊子を多く発行しています。 バックナンバーをPDF版にして掲載していますので、ぜひご利用ください。 『銃弾よりも多くの命を奪った脚気心』 川田志明(慶應義塾大学名誉教授、山中湖クリニック理事長) 江戸期から明治時代にかけて、脚気(かっけ)が国民病として蔓延し多くの死者を出しました。上下身分の差はなく、将軍や天皇から一般庶民に至るまで脚気に罹ったのですが、とくに都会に出てくらす若者に流行し、足の浮腫やシビレ、知覚異常などがみられることから「江戸煩(わずら)い」、「大阪腫(ば)れ」などと恐れられたものでした。 いずれも白米を主食にしたことでビタミンB1が欠乏して脚気が起こったものですが、外地に派遣された軍隊ではさらに高率に発生し、敵の銃弾に散った戦死者の数よりも脚気心による病死者の方が遥かに多かったというから驚きです。その後はビタミンの発見もあって脚気も影を潜めたかに