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姫路城 | 日本の城一覧で見る|日本の名城の観光ガイド
姫路城は西国大名を睨む拠点 姫路城は、白漆喰総塗籠造(しろしっくいそうぬりごめづくり)の美しい姿が... 姫路城は西国大名を睨む拠点 姫路城は、白漆喰総塗籠造(しろしっくいそうぬりごめづくり)の美しい姿が、天空に翼を広げた白鷺(しらさぎ)を連想させることから、白鷺城とも呼ばれる。 南北朝時代の貞和2年(1346)、赤松貞範が姫山に城を築いたのが姫路城の始まりとされているが、現存する天守など多くの建造物は、慶長6〜14年(1601〜1609)にかけて、池田輝政によって造営されたものである。輝政は、徳川家康の次女である督姫と結婚し、慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いでは東軍に与した。その戦功で、三河国吉田から、播磨52万石の領主として、姫路城の城主となったものである。 関ヶ原の戦いを勝利した家康は、なお不穏な西国諸大名に晩みをきかせることに加えて、名古屋城、彦根城などとともに、豊臣家の大阪城の包囲網を形成する拠点のひとつとして、堅固で壮大な城とするよう輝政に命じた結果、姫路城はこのような巨大な城郭
2015/07/17 リンク