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亡き妻の携帯、甦った3・11 陸前高田の復興現場 2年ぶり家族の元へ+(3/5ページ) - MSN産経ニュース
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亡き妻の携帯、甦った3・11 陸前高田の復興現場 2年ぶり家族の元へ+(3/5ページ) - MSN産経ニュース
21分には有里さんに電話したがつながらなかった。家族全員の安否を気遣っているのが分かる。 そして... 21分には有里さんに電話したがつながらなかった。家族全員の安否を気遣っているのが分かる。 そして午後3時22分、利喜さんに「大丈夫? 私たちは館のおき公園(注・館の沖公園)に避難中」とのメールを発信している。 陸前高田市に津波が到達する2分前。これが最後のメールとなった。 ◇ ■「いつも近くで見ているから」 母の思い心に… 一夜明けた12日、ラジオで市役所屋上に100人が避難していると知り、善郎さんと有里さんは市役所に向かう。がれきが埋め尽くす道路の中、やっとの思いでたどり着いた屋上に晃子さんの姿はなかった。その後も家族で避難所をまわったが、晃子さんは見つからなかった。 「責任感の強い、親思いの一人娘だった。なぜ市役所屋上に逃げなかったのか。いまだに当時の避難経路の検証もなく、あきらめられない」。当時のようすを語る善郎さんの唇はふるえていた。利喜さんも怒