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730年前に亡国の危機あり 元寇にどう対処したか(3−2) (1/4ページ) - MSN産経ニュース
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730年前に亡国の危機あり 元寇にどう対処したか(3−2) (1/4ページ) - MSN産経ニュース
それぞれの役割果たした朝廷と幕府、民衆 14万の蒙古軍をはね返す ◆博多攻撃の拠点 先に博多湾に到... それぞれの役割果たした朝廷と幕府、民衆 14万の蒙古軍をはね返す ◆博多攻撃の拠点 先に博多湾に到着した東路軍は防塁のため上陸できず、湾の北にある志賀島(しかのしま)(福岡市東区)で戦いが繰り広げられた。蒙古軍は、御家人たちの必死の抵抗に苦戦した。7月中旬、ようやく江南軍が平戸島(長崎県平戸市)に姿を現した。東路軍と合わせ4400艘からなる軍勢は鷹島(たかしま)(同県松浦市)を占領した。鷹島は牧草や水に恵まれ、博多総攻撃の拠点とされた。 しかし7月30日から激しい風雨が起こった。今度は間違いなく大型台風であった。翌日にかけて吹き荒れた突風は帆をなぎ倒し、船と船は衝突し沈没した。翌朝、浮かんでいた船はわずか200艘だったという。 2度の失敗にもかかわらず、フビライは日本征服の夢を諦めなかった。日本側もその脅威を忘れず、御家人たちによる異国警固番役(けいごばんやく)は幕府滅亡後まで続いた。北条