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【一筆多論】先人が決着つけた「戦犯」問題 中静敬一郎 +(1/2ページ) - MSN産経ニュース
日本人が知っておくべき歴史的事実の一つは、先人たちが戦犯問題に決着をつけたことだろう。 昭和27... 日本人が知っておくべき歴史的事実の一つは、先人たちが戦犯問題に決着をつけたことだろう。 昭和27(1952)年4月28日のサンフランシスコ講和条約発効後、間もなく、「戦犯受刑者の助命、減刑、内地送還」を求める国民運動が巻き起こり、約4千万人の署名が集まった。独立を回復したにもかかわらず、なぜ、敵国に裁かれた同胞たちは釈放されないのか、といった疑問が共有されたからである。 当時、巣鴨、モンテンルパ(比)、マヌス島(豪州)では1千人以上の日本人らが、A級およびB・C級戦犯として服役していた。講和条約第11条は関係国の同意なくして、日本政府は独自に戦争受刑者を釈放してはならないと規定されていたためだ。 これに対し衆参両院はほぼ全会一致の5回にわたる赦免決議を採択した。趣旨説明に立った改進党の山下春江議員は極東国際軍事裁判(東京裁判)をこう批判した。 「戦犯裁判の従来の国際法の諸原則に反して、しか
2014/01/19 リンク