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【安保改定から半世紀 体験的日米同盟考】 (28) 日本国憲法を書いた米国人 (1/3ページ) - MSN産経ニュース
1952(昭和27)年7月7日、日本憲法起草の舞台でもあった連合軍総司令部(GHQ)が入っていた... 1952(昭和27)年7月7日、日本憲法起草の舞台でもあった連合軍総司令部(GHQ)が入っていた第一生命館が返還された。この年、日本は主権を回復し、第一生命館には日の丸が揚げられた(共同) 「戦争の放棄」は修正 「日本の憲法は米国が書き、押しつけてきたのです。内容がもう時代に合わない以上、その改正には米国側も協力すべきです」 江藤淳氏が熱をこめて語った。米国人のほとんどの聴衆は黙ったままだった。1980年3月、ワシントンのウッドロー・ウィルソン国際学術センターでの研究発表会だった。この国際問題の大手研究所に研究員として来ていた江藤氏は改憲の勧めを米側にまでぶつけるのだった。当時としては非常に大胆な主張だった。 著名な文芸評論家の江藤氏については私は「アメリカと私」という彼の著書などを読んでいたが、私が新聞に書いた一文を彼が週刊誌の自分の連載コラムに細かく取り上げてくれたことから知己を得た。
2010/10/13 リンク