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1956年 「もはや戦後ではない」/「国連加盟」
Ⅰ「もはや戦後ではない」 1956年、経済企画庁は経済白書「日本経済の成長と近代化」の結びで「もは... Ⅰ「もはや戦後ではない」 1956年、経済企画庁は経済白書「日本経済の成長と近代化」の結びで「もはや戦後ではない」と記述、この言葉は流行語になりました。それは、最もよく経済水準を示す指標である1人当りの実質国民総生産(GNP)が、55年に戦前の水準を超えたという意味です。55年は、高度経済成長の始まりとなった神武景気の幕開けの年でもありました。56年には、家電を中心とする耐久消費財ブームが開始し、皇室の三種の神器にちなんで、冷蔵庫・洗濯機・白黒テレビが「三種の神器」と言われました。但し、これらは庶民にはまだ高嶺の花であり、当時大人気だったプロレスラーの力道山を見るために、人々は街頭のテレビに群がりました。もっとも、この年すでにテレビ文化を称して「一億総白痴化」(大宅壮一)も流行語になったことは注目されます。 ここで比較されている「戦前」とは、1934年~36年平均を言います。故に、日本経済