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視点・論点 「シリーズ戦争と若者・竹内浩三の詩」 | 視点・論点 | 解説委員室:NHK
詩人・作家 蜂飼耳 終戦から69年目の夏を迎え、今年も各地で、戦争の記憶にかかわる催しなどが開かれ... 詩人・作家 蜂飼耳 終戦から69年目の夏を迎え、今年も各地で、戦争の記憶にかかわる催しなどが開かれています。日本の安全保障をめぐって、さまざまな議論が飛びかっていますが、どのように考え、どんな方向を選ぶことが、よりふさわしいのか、慎重に考えていきたいと思います。 戦争で命を落とした多くの若者たちの中に、竹内浩三という人がいます。陸軍の兵士としてフィリピンのルソン島に送られ、1945年4月9日の戦闘で命を落とした、と伝えられています。映画や漫画が好きで、いずれそういう方面で仕事をしたい、できれば自分の母校の先輩である小津安二郎のように映画監督になりたい、と将来の夢を思い描いていた一人の若者です。ですが、戦時体制の中、いやおうなく国の方針に従うこととなり、23歳で人生を閉じることになりました。 1921年(大正10年)、三重県宇治山田市・現在の伊勢市で、呉服屋のうちに生まれた竹内浩三は、十
2014/08/16 リンク