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三國連太郎
「朝・日の架け橋」 繰り返すまい 人間を虫けらのように扱った時代 三國連太郎 日本中が戦争の狂気に覆... 「朝・日の架け橋」 繰り返すまい 人間を虫けらのように扱った時代 三國連太郎 日本中が戦争の狂気に覆われていた頃、この人はその渦から1人抜け出して、放浪の旅に出た。「中学に入っても軍事教練ばかり。ゲートルを巻くのが嫌で外していくと配属将校に目茶苦茶殴られて。それが耐えられなかった」。中学3年の途中で家出した少年は東京に出て、その後、下田からの木造船で密航して中国へ。各地を転々としたあと朝鮮の釜山に。1937年、日中戦争が勃発して軍靴の響きは高まるばかりだった。 その頃の釜山の駅前は、あてもなく毎日、日本人手配師の来るのを待つ朝鮮人労働者で溢れていた。「ある時でした。意味不明な怒号を耳にして立ち止まると、1人の朝鮮人を、日本人の手配師が『ナップンノム、カマニイッソ』『ヨボ、カマニイッソ』と叫びながらステッキで打ちのめしていました。その言葉は、半世紀たった今も耳にこびりついて忘れられません」。
2013/04/16 リンク