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武家家伝_直江氏
・残された兼続の画像には「三つ亀甲に三葉」紋が確認できる。いずれにしても直江氏は亀甲紋を用いてい... ・残された兼続の画像には「三つ亀甲に三葉」紋が確認できる。いずれにしても直江氏は亀甲紋を用いていたようだ。 直江氏は、越後国中頚城郡直江より起こったという。神氏の一族あるいは藤原式家麻呂の後裔ともいわれるが、系譜に関してはまったく不明である。史料的に確認できるのは戦国時代に入ってからで、直江入道酒椿のころからである。酒椿の子大和守景綱(初め実綱)にいたって名をあげ、実綱は長尾為景・晴景・上杉謙信の三代に仕えた。 そもそも直江氏は越後守護上杉の直臣であった与板城主飯沼氏の旗本であったが、永正十一年(1514)に飯沼氏が滅ぼされると、直江氏が与板城主となった。おそらく、永正の乱において長尾為景に属した結果であろう。 永正の乱を契機に実質上の越後国主となった為景であったが、守護上杉氏の一族である上条氏との抗争に劣勢となり、天文五年、家督を嫡子晴景に譲って隠退した。為景から家督を譲られた晴景は生来