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エジプト軍が紅海の水に溺れる旧約聖書の一場面。巨大な魚が兵士を食べ始めるという、オリジナルの描写が加わっている。(PHOTOGRAPH BY ODED BALILTY, AP FOR NATIONAL GEOGRAPHIC) イスラエル、フコックの遺跡にあるローマ時代のシナゴーグ(ユダヤ教の会堂)を発掘中の考古学者らが、床を飾るモザイク画2点を発見した。1つにはノアの箱舟、もう1つにはモーセの出エジプトに際して海が割れるという、ひと目で分かる場面が描かれている。(参考記事:「古代シナゴーグで発見された“場違いな”もの」) 「エジプト、ファラオの兵士たちが戦車や馬ごと水にのまれているのが分かりますし、巨大な魚に食べられているのも確認できます」と語るのは、発掘の責任者で米ノースカロライナ大学チャペルヒル校のジョディ・マグネス氏だ。 「割れる紅海が古代のシナゴーグに描かれている例は、私は他に2つ
北京大学蔵西漢竹書(北大漢簡)のひとつ『趙正書』を訳してみました。ネットに落ちてたものをテキトーに直しただけなので、正確さは全く保証しません。 むかし秦王趙正が天下に出遊し、帰る途中に白人(柏人)にいたって病にかかった。〔趙正の〕病は重く、涙を流して長い溜息を漏らし、「天命は変えることができないのか。わたしはかつてこのような病にかかったことがなかったが、悲…〈不明〉…」と側近たちに言った。…〈不明〉…これに告げて、「わたしは自ら天命を視て、年五十歳で死ぬと〔占ったことがあった〕。わたしは去る年十四で〔秦王に〕即位し、三十七歳で〔皇帝に〕即位した。わたしはいま死ぬべき年に達していたが、その月日を知らなかった。そのため天下に出遊し、気を変化させて天命を変えようとしていたのだが、できなかったか。いま病は重く、死も近い。急いで日夜に行列を運び、白泉に到着するまでは、振り返ってはいけない。つつしんで
500年以上も読み続けられている風俗レポを紹介しよう。 舞台はルネサンス期イタリアのヴェローナ。 著者は『君主論』のニコロ・マキアヴェッリである。 風俗レポこそ最強のコンテンツである 俺がブログで一番参考にしているところの最新記事がこれであった。 http://wasasula.hatenablog.com/entry/2016/06/26/231049 これが引き寄せの法則か*1と読んで感心していたのだが、その内容にふさわしいと言うべきか、Twitterでそれなりに拡散されたようである。そして後日、彼はこうツイートしていた。 https://twitter.com/wasasula/status/748438884757827584 全くの同意見だ。それどころか俺は常々こう思っている。ネットにおいて、風俗レポこそ最強のコンテンツである、と。もちろんそれよりもPVを集める記事があることは百
古史考略 殷周時代の列国のエピソードや基本的な知識なんかを紹介しています。 列国志については、史料は基本的に『史記』を使用し、所々『春秋左氏伝』・『戦国策』等で補っています。 時代は西周時代から漢楚抗争期あたりまでをフォローしております。 下の一覧から読みたい項目をクリックして下さい。 基礎知識編 春秋・戦国時代とは? 筆者の専門とする春秋・戦国時代がどういう時代であったかを概観していきます。 基礎知識 中国古代史を見ていくうえで知っておきたい知識を項目別にまとめてみました。 史料紹介編 文献史料 『史記』 中国古代史を研究する上で基本的な史料の一つである司馬遷の『史記』の紹介です。 考古史料 金文 殷周時代の青銅器の銘文である金文について紹介していきます。 列国志編 簡略列国志 「列国志」のダイジェストバージョン。現在「簡略斉国志・春秋編」を公開。 斉の歴史 太公望以来の斉の歴史を西周時
2015年10月27日(火)から2016年2月21日(日)まで東京国立博物館にて特別展「始皇帝と大兵馬俑」が開催される。1974年、3月始皇帝陵の東1.5キロの地点で偶然に兵馬俑坑が発見された。兵馬俑の「俑」とは人間や軍馬の姿をありのままに写し取り、墓に埋めたひとがたをいう。2200年前の兵士と馬の姿が等身大で目の前に現れたのだ。その数は8000体にも上るといわれ、20世紀最大の考古学的発見と呼ばれている。 その膨大な俑に守られて埋葬されている始皇帝とはどんな人だったのか。紀元前259年に生まれ13歳で秦王に即位、39歳で天下を統一して49歳で亡くなる。「最初の皇帝」を名乗り、中国大陸に秦という統一王朝を打ち立てた男。暴君とも賢帝とも言われ、古代から日本にも大きな影響を与えてきたこの人物が、昨今の発見により像の形を変えつつある。 本書はこの展覧会にも深くかかわり、始皇帝の陵墓を人工衛星から
(CNN) アイルランド西部のミース州でこのほど、沼地の泥の中から2000年前に作られたとみられるバターの塊が見つかる出来事があった。 発見者は燃料用の泥炭の採取を職業にしている男性。自宅近くの沼地を3.6メートルほど掘っていたところ、強いにおいを放つ重さ10キロのバターの塊が出てきた。作られてから2000年が経過したものと推定されるという。 奇妙な話だが、地面の下から大昔のバターが掘り出されるのは珍しいことではない。アイルランドの考古学会誌に寄せられた論文によると、同国と英スコットランドではこれまで数百個のバターの塊が発見されている。それぞれの年代は数千年前にさかのぼるという。 2013年にアイルランド中部オファリ―州の沼地で見つかったバターの塊は重さ45キロ。作られたのは5000年前とされている。ミース州に隣接するキャバン州の博物館によると、中世においてバターは高級品であり、租税や地代
最近、連続して中国の史書についてのことを書いている。 これはちょっとしたシリーズであって、最後にひとつ書いて〆たいと思っているのだけど、以前書いたつもりで、調べたら書いてないことがあった。 ここのコメント欄でも紹介したんですけどね。 今後も何度も引用・紹介するんだろうけど、ブログ記事にしておこう。 「司馬遼太郎はどういう風に、シロウトをだましてきたのか?」(※褒め言葉) - Togetterまとめ http://togetter.com/li/986379 こちらのほうが鮮明に読めます↓ http://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/g/gryphon/20160615/20160615082127_original.jpg?1465946515 …この史書(三国志)は、事実、ないしは事実の経緯についての記載がいたって不備である。 そのくせ、と
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2016-05-23 當山日出夫 小田中直樹.『歴史学ってなんだ?』(PHP新書).PHP研究所.2004 https://www.php.co.jp/books/detail.php?isbn=978-4-569-63269-8 いわば、歴史哲学の入門といってよいであろうか。 この本を知ったのは、 野家啓一.『歴史を哲学する-七日間の集中講義-』(岩波現代文庫).岩波書店.2016 http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/60/0/6003420.html で、参考文献にあがっていたからである。 大学で歴史学を学んでいる学生を相手にして、歴史学の意味とは、歴史的事実とは、などについて語ってある。いわゆる言語学的転回を経たのちの歴史学は、構成されたものとしての歴史を記述することになる。言い換えれば、神の視点からみた客観的な事実としての歴史は存在しないと考える、まあ、
12/25/2015/WED 山村先生のこと 山村良橘先生について 山村良橘先生は1970年代後半から1980年代半ばまで、大学受験予備校、代々木ゼミナールで世界史講師をしていた人物。 世界史受験生のあいだでは必携と言われていた『世界史年代記憶法』が1976年に出版されているので、遅くとも1976年には、代ゼミで教えていたことになる。先生は予備校講師の時期だけでも多くの生徒を指導していただろう。都立高校教諭の時代を入れれば、さらに数は多くなるはず。 にもかかわらず、ネット上にある山村先生の情報はきわめて少ない。「講義を受けた」程度の記事はみかけても、講義の様子や、そこでしばしば語られた含蓄のある言葉を紹介しているサイトは、私の調べたかぎりでは存在していない。 このページでは1985年の冬季講習から1987年の正月まで「山村世界史」を受講した一受験生の思い出とともに、歴史家、教育者、そして思
恥ずかしながら、「歴史修正主義」という言葉を誤解していた。 厳然たる客観的な「歴史」があるのではなく、受け止める時代ごとの価値観に沿って解釈・再解釈されることを指した用語だと思っていた。しかし、より通俗的には、「歴史修正主義」には、自分のイデオロギーに都合よく史料を取捨選択したり、主張に合わせて誇張・矮小化を図る意味もあることを、本書で知った。 『歴史を哲学する』は、分析哲学の立場から歴史と科学の双方に手を伸ばし、握り合った好著である。「歴史は科学だ」言うと唐突感があるが、著者・野家啓一氏が提唱する「歴史の物語り論(narrative theory of history)」を援用することにより、科学の確からしさと同等に、歴史の確からしさに触れることができる。科学は科学、歴史は歴史、それぞれの分野で広げてきた知見が、その母胎である哲学のところで同じ理屈でつながり合っていることが分かって、嬉し
この前の話。 わたしの親しい知人に、この春高校に合格した息子さんがいた 実際の入学した学校を含め、合格したところは有数の進学校で、めちゃくちゃに優秀であることは間違いない。 そして優秀の形にもいろいろあるが、中学時代から学校の勉強以外にもさまざまに興味があり、たとえば 「戦国時代」「城」「近代史」「第二次世界大戦」「独裁政治」「同和問題」「民俗学」などに興味があったという話を、親経由でちょくちょく聞いていた。 たとえば、彼が中学生で思った疑問というのは、 「第二次世界大戦の時やその前に、南米の国が枢軸国側に立っていたらどうなっていたでしょう?」 …自分もそれなりに考えて、意見を親経由で伝えたりしたが、 そういう質問を自分で思いつくセンスはなかなかだと思う。 だからこれまでも、折に触れてちょこちょこと本をあげたりしていた。 劇画ヒットラー (ちくま文庫) 作者: 水木しげる出版社/メーカー:
最初の本物の動物寓話集、自然界の生き物を網羅したアンソロジーは、古代ギリシャの時代に現われた。もともとはよく知られている動物や植物(現実のものも架空のものも)を分類・紹介したもので、特に医療やほかの特別な使われ方をされていた。 しかし、中世にはこうした動物寓話集はとても人気が出て、その内容ははっきり宗教的、寓意的になってきた。奇跡を起こす力をもっていたり、贖罪や救済、復活のシンボルとして描かれた多くの生き物が掲載された。例えば、控えめなペリカンには、脇腹を貫き、その血を飲ませると、死んだ子どもをよみがえらせる力があると言われていた。(13世紀のフランスの学者による) すべての動物寓話集に共通するのは、事実とフィクションが混在していることだ。現実にいる鳥や昆虫、植物や貴石のきちんとした本当の解説と一緒に、光を発する羽を産する魔法の鳥から、火傷するほど熱い糞を延々とまき散らす雄牛まで、おかしな
公園内には寺院跡、王宮遺跡が9つある 主な(観光対象)建造物は、ワット・プラシーサンペット、ワット・ローカヤスターラームなどの寺院跡、王宮跡です。 公園内には、王宮、ワット・プラシーサンペット、ウィハーン・プラモンコンボーピット、ワット・ウォーラチェーターラーム、ワット・ローカヤスター、ワット・ラーチャブーラナ、ワット・マハータート、ワット・プララーム、ワット・ウボーソットの9つの遺跡があります。 富の象徴である数々の寺院 中心都市であるアユタヤは、流れが穏やかなチャオプラヤー川に位置しており、貿易には適した地形でした。 王はその独占貿易で莫大な利益を得たため、数々の寺院(ワット)を作り出したと言われています。 この遺跡群は、当時この地を治めていた王の「富の象徴」なのです。 アユタヤ王朝の消滅 アユタヤの建造物の多くが、世界的にみて比較的新しい年代の建造物なのに、ほとんどの建造物が煉瓦のみ
第2次ポエニ戦争でアルプス山脈を越えるハンニバルを描いた絵画。Leemage提供。(c)Leemage 【4月7日 AFP】カルタゴ(Carthage)の将軍ハンニバル(Hannibal)は、現在のイタリアへと侵攻する際にアルプス(Alps)山脈を越えたが、その際に選んだルートをめぐっては、2000年にわたり議論が続いている。しかし、このたび見つかった古代の馬糞(ふん)により、科学者らはその答えをようやくつかんだかもしれない──。 紀元前218年、ウマ1万5000頭あまりとゾウ37頭を伴った総勢3万のカルタゴ軍が共和政ローマ(Roman Republic)に侵攻し、長年にわたる血みどろの戦いが勃発した。 これほど大勢の兵士と動物を引き連れてアルプス山脈を越えるのは並大抵のことではないため、歴史学者らや古典学者らは長年、ハンニバルが取った正確なルートをめぐり議論を繰り広げてきた。 そうした中
wikipedia「愛新覚羅溥傑」より 目次 愛新覚羅ってそんなに有名なの? 愛新覚羅溥傑夫妻は稲毛浅間神社の隣に住んでいた 稲毛浅間神社鳥居 鳥居は海の中に立っていた 愛新覚羅溥傑の書 「満州国を挙げて慶祝」 某大学医学部付属病院の「愛新覚羅」さんって? 愛新覚羅ってそんなに有名なの? 某大学医学部付属病院に「愛新覚羅」という珍しい姓の女医さんがいて話題になりました。 anond.hatelabo.jp 「愛新覚羅」は中国皇帝の家系、「ラストエンペラー」という映画にもなりました。そのラストエンペラーの弟・愛新覚羅溥傑夫妻が住んでいた「千葉市ゆかりの家・いなげ」 が自宅の近くにあります。 満洲国皇帝の溥儀は、弟の溥傑を日本の皇族女子と結婚させたかった。 その結果政略として、愛新覚羅溥傑と公家の「嵯峨家」の「浩」が結婚することになった。 二人は、千葉市稲毛にある稲毛浅間神社の一角に新居に住み
なにかに夢中になって眠れなくなったことはありませんか。今回登場する武井先生は、歴史研究が楽しすぎて夜中に何度も目が覚め、出産数時間前まで研究をし続けたほど。学部選択に悩む高校生に、最先端の研究をお届けする「高校生のための教育入門」。歴史ってそんなに面白いの? ユダヤ史を研究する武井彩佳先生に、歴史を学ぶ楽しさについてお話を伺いました。(聞き手・構成/山本菜々子) ――武井先生は『ユダヤ人財産はだれのものか』をご執筆されるなど、ホロコーストの生命や身体だけではなく、カネとモノといったテーマを扱っていますよね。それはなぜでしょうか。 人間はイデオロギーだけで人を殺せないと考えたからです。 よく、ナチスの支配下で洗脳され、ホロコーストに至ったと考えられていますが、政治的な信念だけで人を殺せるのか。そこまで強固な信念や信条を持つ人はなかなかないでしょう。隣の人の持っている土地が欲しいとか、あの人の
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