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日本のインダストリアル・デザイナーの草分けで、数多くの工業製品や家具のデザインを手掛けた柳宗理(やなぎ・そうり=本名・むねみち)さんが25日、死去した。96歳。 東京生まれ。父は民芸運動の創始者で哲学者の柳宗悦(むねよし)。東京美術学校(現東京芸術大)で油絵を学んだが、建築家のル・コルビュジエに影響を受け、デザインに志望を変更。卒業後、調査のため来日したコルビュジエの協力者で仏人デザイナーのシャルロット・ペリアンの助手を務めた。その後、坂倉準三建築事務所に入所し、第二次世界大戦後に工業デザインを始めた。 1952年、日本コロムビアのレコードプレーヤーで、毎日新聞社主催の第1回新日本工業デザインコンクール第1席入選。翌年、柳工業デザイン研究会を設立。57年にミラノ・トリエンナーレで鳥居に似た形の椅子「バタフライスツール」が金賞を獲得した。白磁を使用した食器をはじめ、家具や照明、オート三輪など
実験精神に富んだ多彩な作品を生み出したグラフィックデザイナーの粟津潔(あわづ・きよし)さんが28日午後2時44分、肺炎のため川崎市内の病院で死去した。80歳だった。葬儀は近親者で行った。喪主は妻八重子さん。 29年、東京生まれ。法政大を中退後、職を転々としながら絵を独学で描きはじめ、55年に日宣美賞を受賞したのをきっかけにデザインの道へ。カラフルな画面に、指紋、ハンコ、肖像画を反復させた作風で知られる。東京・渋谷の劇場「天井桟敷館」の外観をデザインしたり、「心中天網島」(篠田正浩監督)の映画美術を手がけたりするなど多彩に活躍した。世界各地の印刷文化の研究を重ね、印刷博物館(東京都文京区)の初代館長も務めた。 07年〜08年には金沢市の金沢21世紀美術館で1500点を公開する回顧展を開いた。
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