タグ

批評に関するf-nyoroのブックマーク (7)

  • 『小説の設計図』はトンデモ本じゃないから注意! - kugyoを埋葬する

    文学は飢えてる子を救うよ。 最近、文学の存在意義について話す機会があって、そこではまず、現状で大学の学としてとりあえず成り立ってしまっている文学と、それとはとりあえず無関係に成り立つ文学の研究と、そして文学の研究対象となっている文学作品とを峻別しましょうね、という議論になった。 で、いま用語としてなんか付けるのであれば、文学学と文学批評と文学作品と、って感じかしら。で、文学作品については娯楽として価値があることはわかるし、そもそも娯楽としてでいいのだったら3つのどれでも価値はあることになるけど、そうでない価値が文学学や文学批評にあるのか? ないのか? って話をした。このうち、現状の文学学については、私も必ずしも満足していなくて、とはいえそれは大学での学問一般に言えることかもしれない(学生のぬるさとかね)のでとりあえずおいて、私が再三主張している文学批評の価値を、ここでは話題にしよう。 文学

    『小説の設計図』はトンデモ本じゃないから注意! - kugyoを埋葬する
  • 空中キャンプ - スラヴォイ・ジジェクの映画教室

  • 人生という憂鬱のためのアーカイヴズ - 東浩紀×笠井潔×海猫沢めろん「新本格からセカイ系へ、そしてゲーム的実存へ!?」を観に行った

    去る5月26日に、池袋(西武池袋店イルムス館9F池袋コミュニティ・カレッジ25番教室)で行われた東浩紀と笠井潔と海沢めろんによる鼎談「新格からセカイ系へ、そしてゲーム的実存へ!?」を観に(聞きに)行ったのだった。そこで印象の残ったことなどを、ごく簡単にだが、まとめておくことにする。まあ、あくまでも自分用のメモのつもりだから、精密なレポートを目指してはおらず、また記憶を頼りにしたものなので、もちろん進行どおりの記録というのではなく、発言者の用いた言葉に忠実ではない個所や可能性があることを、あらかじめ述べておきます。 対談集である『コンテンツの思想』刊行イベントというかたちではあったが、どちらかというと、『ゲーム的リアリズムの誕生』の内容に沿ったものであったと思う。また全体的には、新書『動物化する世界の中で』を読んだときと同じく、東と笠井の議論は、いまいち噛み合っていないようにも感じられ

  • 香山リカの粗製濫造について - jun-jun1965の日記

    香山リカほど、新聞やマスコミでの売れっ子ぶりと、ネット上、あるいは蔭での悪口との乖離が激しい人も珍しい。後藤和智はこんなふうに書いている。 http://kgotoworks.cocolog-nifty.com/youthjournalism/2007/04/post_6cb6.html (嫉妬で書いたものであるため削除)

    香山リカの粗製濫造について - jun-jun1965の日記
  • 2007-05-10

    第五十回群像新人文学賞の評論部門の優秀作としてトンデモないのが入賞してしまったので、俺の中のSF業界(笑)に激震が走った*1。群像6月号(講談社)をゲットだ! 小説部門の方は、当選作の「アサッテの人」が抜群に面白い。牧野修さんの電波文の秀逸さに常に敬愛を抱いている私だが、この「アサッテの人」に出てくる叔父の文章も大したものだ。 最初に「ポンパ」とか出てきた時、どうしようかと思ったよ(笑) 群像新人文学賞「アサッテの人」諏訪哲史の内容紹介 子供の頃、吃音癖のあった叔父が失踪した。著者は叔父の残された日記と小説の断片から、叔父が意味ある世界から逸脱した「アサッテ」の世界へと旅立っていってしまった事を知るという前衛小説が生きていた頃は、《ポンパ》《チリパッパ》《ホエミャウ》《タポンチュー》とワケの分からん単語を突然叫ぶ程度であった叔父が、の死後、明晰な思考過程を保ちながら徐々に異世界の人

    2007-05-10
  • 小林秀雄の読み方 - finalventの日記

    いわゆる近代批評の部分確立した小林秀雄というのは「モーツアルト」で終わりなんですよ。 あるいはその延長というか。「ゴッホの手紙」とかけっこうどうでもいい。 その意味ではこれが必読ですよ。 小林秀雄: 江藤 淳 小林が長谷川泰子関連のどたばたで自殺しようとした遺書まで含まれていて、そのあたりは圧巻です。よく小林がこれを公開したものだというか、このころ小林は江藤に賭けていた部分もあったのかと思う。 ただ、江藤のこの作品は、作品としてみると、けっこうとほほ。 この問題はこれとも関連。 これ⇒極東ブログ: [書評]中原中也との愛 ゆきてかへらぬ(長谷川泰子・村上護) で。 と、ちょっとウィキペディアを見たら苦笑⇒小林秀雄 (批評家) - Wikipedia 小林秀雄の真価はむしろ、ドストエフスキイ論から始まる。 これね⇒「 ドストエフスキイの生活: : 小林 秀雄」 これがどのくらいすごい問題を

    小林秀雄の読み方 - finalventの日記
  • おまえにハートブレイク☆オーバードライブ ■ウェブ2.0的集合知(愚)が“批評の死”をヴァージョン・アップする

    「最近批評はどうですか」みたいなことをいろんな立場の人から続けざまに尋ねられた。「ニュー評論家」なんて胡散くさい肩書きの人間にそんなこと訊くなよと思いながらそれなりに真面目に答えたのだが、背景に横たわっているのは例のアレのようだった。そう、ウェブ2・0。昨年のベストセラーにしてウェブ2・0の喧伝媒体となった梅田望夫『ウェブ進化論』は、議論の核に「集合知」というものを置いていた。ブログなどの普及により誰もが情報を発信できるようになって、無数の意見が集約・統合されたところに個人を超えた「知」が現出するという、何というかニューエイジっぽいオハナシで、誰でも編集できるウェブ上の百科事典「ウィキペディア」がその典型例とされる。ウェブの進化は人類の進化だといわんばかりの梅田の戦略的オプティミズムには当初から批判があったが、『ウェブ進化論』から1年が経過した現在、ウィキペディアにしろソーシャル・ブックマ

  • 1