韓国人被爆者訴訟で最高裁が1978年、「原爆医療法(当時)には、国が自らの責任で救済する国家補償的配慮がある」と被爆者健康手帳の交付を認めたのを受けて設置された。メンバーは、茅誠司元東大学長(座長)▽大河内一男元東大学長▽緒方彰NHK解説委員室顧問▽久保田きぬ子東北学院大教授▽田中二郎元最高裁判事▽西村熊雄元フランス大使▽御園生圭輔原爆被爆者医療審議会会長=いずれも故人。 被爆者援護法 国が難色 79−80年 基本懇の議事録開示 財政難で制定回避 官僚が議論誘導 (2010年8月2日掲載) 大平正芳内閣から鈴木善幸内閣にかけて国が被爆者に補償する被爆者援護法制定の可否を検討した厚相(当時)の諮問機関「原爆被爆者対策基本問題懇談会」(基本懇、1979―80年)の非公開の議事録が厚生労働省内で見つかった。民間委員の議論に官僚が介入。財政難などを理由に当初から法律制定に難色を示していたことが浮か
■「被爆は今も」映像に/あすから広島で上映 広島市出身の漫画家こうの史代(ふみ・よ)さん(41)=東京都中野区=の「夕凪(ゆう・なぎ)の街 桜の国」を、広島市こども文化科学館(中区)が映像化した。原爆が一つの家族にもたらした傷跡を描き出した名作。作者の「被爆は今も続いている」というメッセージが伝わるよう、約130枚の原画を再構成して情感豊かに仕上げた。24日から同館のプラネタリウムで上映される。9月5日まで。(山下奈緒子) 「夕凪の街 桜の国」は2003〜04年に発表された漫画。被爆10年後の広島で若くして原爆症に倒れる平野皆実(みな・み)と、半世紀後の東京で暮らすめいの石川七波(な・なみ)が主人公だ。07年には実写映画化された。 今回の映像化は、同館の30周年記念行事。小学生の頃から広島で暮らし、3月まで館長を務めた加藤一孝さん(60)が企画した。加藤さんは被爆者がみな「どうして自
「星はみている」の表紙=講談社提供「星はみている」の一場面。主人公の父親が原爆で大けがをしたことが描かれている=講談社提供 原爆で父を失った漫画家が、投下から12年後の1957(昭和32)年、原爆をテーマにした作品を少女雑誌に連載していた。中沢啓治さんの代表作「はだしのゲン」より16年早く、原爆を扱った漫画としては最も古い部類とみられる。広島平和記念資料館(原爆資料館)が掘り起こし、6日から資料展を開く。 広島県安村(やすむら)(現・広島市安佐南区)出身の谷川一彦さん(1936〜2008)作「星はみている」。講談社の「なかよし」の57年1月〜12月号に1年間連載された。 原爆投下の日に父が行方不明になり、12年後に母も病死した少女が主人公の冒険劇で、父は大やけどを隠しながら生きていたという設定だ。原爆ドームや広島駅などが写実的に描かれ、親友が原爆症で死ぬ場面もある。 原爆資料館によ
【バンコク=田原徳容】ベトナム戦争中の1968年に米兵が一般住民500人以上を殺害したソンミ村事件で、有罪となったウィリアム・カリー米陸軍元中尉(66)が41年ぶりに謝罪したことを受け、同村で生き残ったパン・タン・コンさん(51)が23日、本紙の電話取材に応じ、「謝罪はないと思っていた。あまりにも遅く驚いたが、犠牲者を代表して受け入れたい」と語った。 パンさんは、10歳の時、目の前で米兵に両親と兄弟を殺害された。 現在、同村の記念公園博物館の館長を務め、犠牲者の追悼を続ける。パンさんは「カリー氏にはベトナムに来て、当時とその後40年の思いを語ってほしい」と述べ、同氏がベトナムと米国の友好関係のシンボルとなることに期待を寄せた。
政府は、第2次大戦中の1942年4月、日本軍がフィリピン・ルソン島で行った「バターン死の行進」で生き残った元米兵捕虜らを、来年度日本に招待する方針を固めた。 政府が元米兵の捕虜を公式に招待するのは初めて。 元捕虜の間には、今もなお反日感情が残る人々もおり、日本政府としてはこうした活動を通じ、日本に対する理解を深めてもらいたい考えだ。 「バターン死の行進」をめぐっては、米国内に元捕虜で作る「全米バターン・コレヒドール防衛兵の会」があったが、高齢化に伴い、今年5月、テキサス州サンアントニオで解散式が開かれた。 この会合に、藤崎一郎駐米大使が日本政府を代表して出席した。「バターン半島・コレヒドール島などで、悲惨な経験をした元戦争捕虜を含む多くの方々に、多大な損害と苦痛を与えたことに、心からのおわびの気持ちを表明します」と謝罪した。日本政府が元米兵捕虜に直接謝罪したのはこれが初めてのことだ。 計画
日本軍の史料だけでも「南京事件」の存在は確認できます。 焼却された史料も多く、また、そもそも加害者側の史料だけで事件の全貌や規模を推量するのは無理があるわけですが、どういう性質の事件が起こったかは確認できます。 南京事件に関して「どっちもどっち」派の方が多くおられる背景には、以下に紹介するような史料が(あまり)知られていない、ということがあります。 その原因は、まずは日本政府の怠慢。それから、否定派の文献ではほとんど紹介されないこと。 おかげで、 あった派=「中国(&連合国)史料派 なかった派=「日本史料派」 みたいな二項対立が信じられているように思うのですが、それ、偽りの構図ですから。 まあ以下の史料を読んでみてください。数量化はできませんが、ともかく侵略側が酷いことをした、という事実だけは確認できるでしょうから。 加えて重要な事実は、日本軍兵士(正確には、徴兵され兵士となった日本人)は
という情報を、いつも参考にさせていただいている(けど、トラックバックが通らない)「調査会法情報」さんの10日付エントリ「調査会法情報090510 (元米兵捕虜・旧軍毒ガス・公文書)」で見かけた。ここですかさず「まさか」と思ってしまうわたくし、日本政府に対する信頼感に満ちあふれているようだ。 以下、紹介されていた新聞記事。私がとる前に魚拓が撮られていたから、このエントリを書いている間にApemanさんがエントリを上げられるかもしれない (注;と予想してみたけど、16:00時点でまだだった(^^;)。 第二次世界大戦中にフィリピンを占領した旧日本軍が捕虜を数日間歩かせ、多数が死亡したとされる「バターン死の行進」を巡り、日本政府が駐米大使を通じ、元米兵捕虜の団体に謝罪していたことが9日、分かった。行進の現場「バターン半島」に日本が言及して謝罪したのは初めて。(後略) …「日本政府が駐米大使を通じ
http://www.timesonline.co.uk/tol/news/world/middle_east/article5447590.ece 白リン弾の人体に対する影響に関して、白リンの酸化反応で生じる煙がほぼ無害である、という記述ばかりが日本語では目立つ。2005年にファルージャで米軍が白リン弾を利用したときに、それが化学兵器か焼夷兵器か、はたまた単なる煙幕弾なのか、ということで激しい議論がおきたため、こうしたことになっているらしい(なお、米国政府は当時「化学兵器ではなく焼夷兵器」としている)。たしかに、「煙幕弾」ないしは「発煙弾」、「照明弾」として白リン弾が使用されているという軍による「人道性」を説く解説を素直にうのみにする方々からすれば、煙の人体に対する影響こそが関心の的となるのかもしれない。しかしながら目下ガザ地区で行われているイスラエルによる白リン弾の投下は、幾多もある写
長さ: 09:16撮影日: 02 1月 2009場所: Avignon, Provence-Alpes-Côte d'Azur, フランス 埋め込み型プレーヤー: <div><object width="480" height="381"><param name="movie" value="http://www.dailymotion.com/swf/k7vh3nyCrNUqp4TFbI&related=1"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowScriptAccess" value="always"></param><embed src="http://www.dailymotion.com/swf/k7vh3nyCrNUqp4TFbI&related=1" type=
アパグループというホテルチェーンが「真の近現代史観」という標題で募集した懸賞論文で、田母神俊雄・前航空幕僚長の「日本は侵略国家であったのか」という「論文」が最優秀賞に選ばれた。この「論文」の結論は、日本は侵略国家ではなかったという点にあるのだが、その論拠はきわめて杜撰で批判にも値しないものである。このような「論文」が最優秀賞に選ばれたことは、政治的な作為によるものと感じないわけにはいかない。さらに、このような「論文」の著者が航空幕僚長という地位にあり、その下で自衛隊の幹部教育が行われ、それに桜井よし子氏や「新しい歴史教科書をつくる会」のメンバーが講師を務めていたことも明かになっており、その影響力は無視できないものがある。この懸賞論文に多数の自衛隊員を応募させたことも、このような教育の一環と見てよい。 この問題が大きく報道されると、田母神説を支持する意見が自衛隊以外にも意外に多くみられ、ヤ
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く